7月14日はパリ祭。フランス共和国の成立を祝う日である。
リヨン、フルヴィエールの丘でも盛大に花火が打ち上げられた。
パリ祭の2日後、リヨンのアパートを引き払う。
トレーラーに家財を積み込み、スウェーデンのマルメへ向けて出発だ。
といっても私と娘はとっくにリヨンを離れ、今は日本にいる。
トレーラーを牽引し自家用車で1500キロの旅に出かけたのは、夫と息子そして3人の同級生たちである。
息子の友人たちは、引越しのお手伝いをする代わりに高校の卒業旅行も兼ねてスウェーデンまでお供する。
そして、あの手狭なマルメの夏の家で過ごすのだ。
彼らがマルメについてから数日後、夫からこんな写真が。
部屋を散らかし放題、連日夜中まで騒いでいる4人組にキレた夫が、庭にテントを設置。
一足先に日本に来た娘は小学校一年生に転入した。夏休みまであと僅かであったが、友達もできたようだ。
フランスのお友達とはWhatsAppというビデオ電話でよく話している。
海外はずいぶん身近になったものだ。
「日本ってほっぺにビズ(キス)しちゃダメなのよ。変でしょ。」
仲良しのジュリアナに文句を言う。
時々通っている児童館で、仲良しのお友達のほっぺにチューして注目を浴びでしまったらしい。児童館の方があとで私に「日本にはない習慣だと言ってあげてください」と報告してくれた。
イタリアやフランスでは、仲の良い友達とはごく自然にチークキスをする。親愛を示すための大切な挨拶である。
さて、娘の学区は奈良きたまちだが、我が家から小学校までは少々遠い。
通学路は国道沿いとはいえ、いきなり歩道が消滅したりして安全とは言えない。
バスの本数は1時間に一本にも満たない。
しかも、近鉄奈良駅から我が家の方面への最終バスが夜の7時19分ときた。
夜に徒歩で帰るにも、国道に歩道のない部分があるので子供連れには危険である。夏祭りから足が遠のいてしまった。
リヨンでは自転車道と歩道が整備された環境であったため、自転車、車、歩行者が混在する奈良の道に慣れるのには時間がかかりそうだ。
娘の通う鼓坂小学校のすぐ手前には世界文化遺産の転害門がある。
天平文化が花開いたころから現在まで実に1300年余りの歳月を経ている。
そして、同じ地区の若草中学校は多聞城跡に建っている。
当時のポルトガル人宣教師が本国に送った書簡には、多聞城について「世界中にこの城ほど善且つ美なるものはないと思われる(若草公民館内 多聞城ファンクラブのパンフレットより抜粋)」と記されている。
跡地に中学校が建っているのでお城の再建築はむりでも、今の時代なら光による3D再現が可能ではないだろうか。夏の間にでも中学校の上空に幻のお城が投影されたりしたら楽しいだろうに。
さらにそこからしばらく歩くと、明治5大監獄の一つで重要文化財「旧奈良監獄」に行き着く。近年は2017年まで奈良少年刑務所として受刑者の更生教育と社会復帰を目指してきた。
旧奈良監獄は監獄ホテルとしてリニューアルされるらしいが、地域の人々にとっては思い出深い場所だけに、あまり改装しないで現状を維持して欲しいと住民は願っているようだ。
ここでは少し歩けば歴史的建造物に行き当たる。
おおっぴらに宣伝されているわけでもなく、ひっそりと佇み地域生活に溶け込んでいる。奈良はすごいところだ。
さて、長年続けさせていただいたリサのヨーロッパ通信、日本に移住したため今回が最終回である。
今後は娘がお世話になったリヨンの小学校の子供たちに奈良生活ブログ「La vie a Nara」を発信することにした。
夫は9月に日本に到着するが、長男はリヨンの国立音楽院でオルガンの勉強をするのでしばらく会えない。半年以上も会わないのは初めてであるが、もうすぐ18歳なのでそういうものなのかもしれない。
2月15日に八王子のロゴス教会でジョイントコンサートに出演するらしいので、今からそれを楽しみにしている。
リサのヨーロッパ通信 【完】
にんげんクラブの皆様へ。
子育てブログを始めてから4年半、長い間ご愛読本当にありがとうございました。
そして、にんげんクラブ会長の舩井 勝仁様、ブログ掲載にあたりお世話になった、家田 邦夫様、柴切 純子様に深くお礼を申し上げます。
リサ
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